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気分のままに歩く

桜がもう散ってしまいそうなので、今朝は珍しくジョギングではなくウォーキングをしてきました。
散歩のコースに1kmくらい続く未舗装の土と芝生の道があります。平日の朝は人がとても少ないので、マスクを外して歩けて気持ち良いです。なんなら靴も脱いで裸足で全力疾走したい気持ちに駆られます。(でも実際には、犬の糞尿があるんだろうな…とか気になってしまい、裸足にはなれません^^;)

最近では運動のいろいろなノウハウと効果が科学的に説明されています。
「心拍数を●●●に保って、●●分以上の運動を週●回すると効果的に脂肪燃焼する、あるいは心肺機能が向上する」
「負荷の高い運動と、休息を●分置きに繰り返すインターバルトレーニングが良い」
など、確かなエビデンスのついた方法論が、書籍やインターネットで簡単に手に入るような時代です。私も意識して取り入れている部分もあるのですが、たまにふと、囚われすぎている自分に気づく時があります。
せっかく走り始めたけど、「今日はどうも身体が重い。でも15分でやめるのは勿体ない…」とか思ってしまうんですね。いつの間にそんなに効率を重視してるんだろう?と気づくのです。
「一日一万歩、歩かなきゃ」というのも、心がけとしては立派です。9500で終わるとかえってストレスになるようなら、本末転倒という気がします。
「早歩きがいい?」「大股がいい?」というのも、ある一方からしか見ていなくて片手落ちなことが多いので、ご質問をいただくたびに「あまり気にしないでください」とお答えしています。

アスリートは、いかに効率よくトレーニングして、いかに早く身体を回復させるかが大事だと思います。だから科学的なトレーニングが主流です。しかし、私たちが心身の健康増進を目的に行う場合の「走る」「歩く」に関して言えば、もっと自由であって良いような気がします。

◆凍えそうに寒い時は、自然に小走りになるし
◆家に帰るのが楽しみで仕方ない時は、スキップの一つも出るかもしれないし
◆この人ともっと長くいたい!と思えば、自然と歩調がゆっくりになるし
◆楽しそうな起伏があれば、一気に駆け上がってみようかなと思うし
◆落ち込んでいる時は、肩を落としてトボトボと歩くだろうし
つまり、臨機応変にスピードや姿は変わって当然だと思うのです。こういうバリエーションがあったほうがよくないですか?

呼吸に関しても同じことが言えます。
どんな時もゆったりと深い複式呼吸が正解なのか?
答えはNoです。
息をする、歩く、といった本能に組み込まれた活動に正解なんてないはずですから(あるとすれば、知っているのは「頭」ではなく「からだ」か)。
じゃあ、「呼吸」や「歩行」はどんな風にしていても、問題ないかというとそうでもありません。少なくとも、どのように息をしたり、どのように歩いているか、振り返ってみる機会は必ず必要だと思います。
抽象的な言葉になってしまいますが「身体と対話する」って、そういうことなのではないかと思っています。やりやすい環境は、やはり自然を感じるところです。

時にはスマホをもたず、スマートウォッチもつけず、ひたすら気分のままに歩いてみてはいかがでしょうか。
MBTは自分の身体と対話するのにもってこいのシューズです。いま、自分がどんな風に歩きたいか…少し身体に耳を傾けてみると良いです。
ゆっくり歩いたり、早く歩いたり、アスファルトの上で全力疾走したり(危ないので不整地でダッシュはしないでくださいね)。それだけでも結構楽しめると思います。